MESSAGE会長・社長挨拶
会長挨拶創業者の想い 会長 宮下照之
昭和53年に株式会社一水工業を創業した現会長の宮下照之が、創業の経緯と会社発展のあゆみ、社員への想いなどを語ります。
創業の経緯
昭和34年に静岡県立沼津工業高校の建築科を卒業した後、設備関係の会社に就職しました。この仕事を選んだ理由は給料が高かったから。当時初任給が1カ月5000円という時代に、1万円もらうことができました。同級生の中でも給料が多く、それが私のちょっとした自慢でもありましたね。
私が富士吉田市に来たのは、富士急行・富士山駅ビルを造る工事に携わったことがきっかけです。工事期間は2年でした。
その後、別の工事に従事するためいったんこの地を離れますが、1年ほどしてまた富士吉田に舞い戻りました。そのときの私は次の仕事が決まっていない状態で、この富士吉田で探そうと思ったのです。そんな折、家内と結婚。ここに腰を落ち着けることとなりました。
社員と地域を大切にする経営スタイルのはじまり
会社は仲間と2人で始めましたが、はじめはなかなか仕事をもらえず苦労しました。地元だけで営業していてもダメだということで、地域を沼津や甲府にまで広げていくと、少しずつ受注をもらえるようになっていきました。
そうなってくると必要なのは人手です。しかし、人を増やそうとしてもなかなか入ってくれないんですね。雇ってもすぐ辞めてしまったり。
そこで私は「人を大切にしなくては」と考えるようになりました。そのためにまず、自分が人からされて嫌だと思うことは全てやめることにしたのです。
例えば、遅刻しても怒らない。朝、時間通りに来ない人は毎日家まで迎えに行き、起こしてから一緒に出勤する。一週間も休むと戻ってこなくなるので、迎えに行く。そんなことを実践していました。
また、苦労してパイプのねじ切りの大きな機械を買ったりもしましたね。大きな道具があると、大きな仕事ができますから。今でも本社に飾ってありますが、当時の私にとってはかなり無理をした投資でした。
幸いこの投資が功を奏して、大きな仕事を取れるようになっていきました。そうすると人を増やしていかなくてはならない。辞めずに気持ちよく働いてもらうために、夜は毎日みんなを飲みに連れて行きました。一緒に飲んで、お開きになってから私は仕事に戻り、設計図や施工図を書いたり、請求書を作ったり。当時は1日3〜4時間しか寝ていませんでしたが、それが当たり前だと思ってやっていましたね。
バブル期になると、山中湖や河口湖でリゾートマンションの工事が盛んに行われるようになりました。人手が足りないということで、その応援に行くと1人1日5万円をもらうことができ、私たちの会社からも何人か行っていました。
稼げる仕事ではありましたが、こんなことをずっとしていてもしようがないとあるとき気づき、もっと自社の発展につながることをしなくてはと考えを切り替えました。
人のやらないこと、人にはやれないことをうちの会社でやっていこう。そして自社の施工方式を打ち立て、社員には仕事上必要な資格を積極的に取らせるようにしました。そうしていくうちに、少しずつ会社は発展していきました。
人は宝。自分よりも、社員の生活が優先
創業から46年が経ち、振り返れば良いことも大変だったこともありました。その中で、人を大事にするということは創業当初から今も変わっていません。人は宝です。
利益は社員に還元したいという考えで、賞与は3回、一時期は4回出していたこともあります。社員が家を持ち始めるようになったとき、私にはまだ持ち家がありませんでした。みんなの生活が豊かになってからという考えで、50歳頃になってから私は家を建てました。
毎年社員旅行もしていました。夏は海水浴、冬はスキーなどにもみんなで行きました。
これまでの歴史の中で一番思い出深いのは、社員とその家族を連れてバスを4、5台連ねて旅行をしたことです。みんな喜んでくれましてね。社員たちの笑顔を見ることが何よりの喜びです。
今の社長にもこれは引き継がれていて、昔のようにしょっちゅうというわけにはいかなくなりましたが、続けてくれています。
令和の就活生へメッセージ
一水工業は、本当に辞める人が少ない会社です。そして、従業員の多くが家を持っています。入社して2、3年で家を建てた人が何人もいます。
それから、古い言い方ですがこの仕事は簡単に独立することができるんです。ですから、そういう希望がある人には良い仕事なのではないでしょうか。
私はこれまで、学校で悪いことをしてきたような若者ばかり育ててきました。実際、少し生意気なところがあるような子、それから我慢ができる子が伸びていきます。
その一方で、大学を卒業した人も活躍できる環境です。やる気があれば役員になれるチャンスがあります。興味のある方はぜひ、我が社にいらしてください。
社長挨拶設備業界の魅力と
一水工業が目指す未来
代表取締役 宮下貴之
代表取締役の宮下貴之が、経営理念に込めた想いと設備業界の魅力、一水工業の未来像を語ります。
経営理念に込めた想い
「お客様の満足する設備品質と、全従業員の物心両面の幸福を追求し、地域社会に貢献する」
これは16年ほど前、私が先代から経営を引き継いだときに打ち立てた経営理念です。
しっかりとしたものをお客様に納品すること、社員がお金の面でも心の面でも満たされ、幸せに生きられるようにすること、そして利益を残し納税することで地域社会に貢献すること。この3つを目標として掲げました。
全て大切な理念ですが、その中でも特にここでお伝えしたいのは、「一水工業は社員を何より大事にしている」という点です。これは先代からの考えで、今も変わりません。
また、当社は創業して46年になりますが、山梨県内においてたくさんの仕事をさせていただいています。富士山のそばでお客様が事業を始めたり拡大したり、建物を建てたりすることで私たち設備の仕事も生まれているのです。
そうしたことから私たちは、富士山と山梨県にいつも感謝の気持ちを抱いています。少しでも多くのことを山梨に還元していきたいと考えながら事業をさせていただいています。
設備業界の魅力とは
設備業界というのは、とてもチャンスのある業界だと思います。そして今後も決してなくなることはありません。
若い人にとっても、非常に良い仕事だと思っています。手に職をつけられるということと、資格を取ることによって、どこででもやっていけますし、何よりも建物を造ることを一度体験していただければ、その魅力に気づいてもらえるんじゃないかなと思います。
ライフライン(電気・水道・ガスなど生活・生存に不可欠なインフラ)に関わる仕事は、国にとっても地域にとっても非常に大事なもの。皆さんの生活を支える、非常にやりがいのある仕事です。
ところがこれだけ大事な仕事であるにもかかわらず、建築業界、設備業界はそれほど若い方に知られていません。知っていたとしても、まだまだ3K(きつい、汚い、危険)のイメージが残っていたりするのではないでしょうか。
しかし時代の流れとともにそれは変わってきています。労働環境や安全面も整ってきていますし、むしろ魅力的な面の方が多いのではと私は考えています。
まず、プロ意識がものすごく高い業界なんです。なぜならライフラインに関わる仕事だから。事故が起こるようなことは許されないので、皆が高いプロ意識を持って仕事をしています。それは大きな誇りにつながっていくものだと思っています。
もう一つは、一つの建物を造る過程で、最初から最後までずっといるのが、ゼネコンを除けば設備屋と電気屋なんです。そうしたことからも設備屋は請負金額が高いですし、建築業界の中でも今、注目されている領域だといえます。
より多くの仲間を増やしたい
今後は、より多くの仲間を増やしていきたいと考えています。それは当社の発展のためでもありますが、それだけではなく、この設備業界が魅力ある業界だということを地域で一番の会社として社会に示していきたいからです。
世の中にはさまざまな仕事がありますが、設備は非常にチャンスが多い業界だと思います。収入面でも仕事面でも 魅力がありますので、ぜひそれを若い方々に知っていただきたいですね。
職人さんが多いということで「先輩が厳しいんじゃないか」「あまり教えてくれなくて、背中を見て覚えないといけないんじゃないか」と思われる方がいるかもしれませんが、それは昔の話。今は丁寧に教えますし、人材はきちんと会社としてケアしていくのでご安心ください。
他の社員インタビュー記事もぜひご覧いただければと思いますが、一水工業は社員の仲が良く、家族的な暖かさに溢れた会社です。ですから、会社や仲間のことを思っていただける方、それによって自分が成り立っていくということを感じられる方に入っていただけたらうれしく思います。
たくさんの方に入っていただくことで当社が発展し、ひいてはそれが業界の発展へとつながっていけば良いなと思っています。
ぜひ一緒に、設備業界を賑やかにしていきませんか?
ご応募お待ちしています。